やっぱ義久、義弘の関係性大好きだわ。それに忠恒もいい味出してる。 日新斎がいった評価で、義久、義弘と家久の違い、歳久自体といまいちしっくりこなかったけど。このチャンネルでしっくりきた。知れば知るほど義弘と同じくらい義久が好きになった。 義弘が愚直過ぎていくら政治的な手腕がなかったとはいえ、関わった大名からこんだけ評価されているんだから人を惹きつける力はもの凄かったはず。その義弘がいる中でも義弘含めて島津家の家臣たちの間での代表はずっと義久だったのはそれだけの理由があったんだな。義弘ができない部分を自分がして、家の為に動く。多分家臣みんなわかっていたんだろうな。ただ人任せな人じゃなくて演じている部分もあると。義弘を一貫して守っている部分もあるし、別動画だけど歳久を弔ったのもいいし、異母兄弟である家久にかけたとされる言葉もいい。 人一倍愚直で抜群に人を惹きつける義弘は凄いし、一見ただ人任せにしているように見えて後から振り返ると状況に応じた必要な役割を一貫して通していた義久も中々できることじゃない。 結果この二人がいて忠恒にまとめることに成功してるし、それがのちの薩摩藩につながり強いまとまりを生み、ひいては倒幕のエネルギーにもつながってる。 大げさなこというと、この兄弟が出てきたことは日本の歴史にとっても本当に大きかったんだなと思う。
3:08 これは東国武士の性質なのよ。平将門も任地で悪政をしいた挙句に政府の倉庫を襲撃した明らかに悪いヤツの藤原玄明をかくまったりと、悪人でも多少地位があったら誰でも助けてしまうのよ
若手の突き上げを制御できない 上層部の戦略や政略を理解しないで 自分の意のままになるように強行論を唱える ものすごいを既視感を感じます
根っこの部分では ①九州は遠すぎだし、最悪九州を統一するような幕府にあだなす輩が出ても中央勢で討伐できる事実 ②加藤や黒田もそれなりに爆弾なので島津を消すより対抗馬としていがみ合っている方が具合がよい というのが大きそう。 特に②は上杉を潰さず生かして最上を優遇→伊達への対抗馬と同じ狙い
超重要指名手配犯の宇喜多秀家を匿ってるのが霞んでる…
よく考えると三河者も面倒で頑固で自分勝手で面倒臭くて家康死ぬほど苦労してましたね…。家康も秀吉傘下になる時にクソほど家中を纏めるのに苦労(数正や小笠原出奔)しましたが、意外と共感していた可能性が?
根暗だけど政治手腕はピカイチの長男 政治は出来ないけどカリスマあふれる次男 困ったちゃんだけど妙に可愛げがあって愛されやすい息子
結局最初から最後まで「家臣団」がすべての発端
まあ、今回の件はかなり時間がかかったけど、家康も秀吉に臣従する際も似たようなところがあったからなぁ。
島津家も宗氏も惟宗氏で、鎌倉以来の血統が現代まで繋がっているという共通点
宗家も島津家も「潰してしまうと他に代えが効かない存在」という部分で助かった一面があったということですね。 島津の場合は征伐や取り潰しだと、徹底抗戦しそうで面倒だからという側面も強そうだけど ※島津の引き口は無駄ではなかったと思う
観てるぜ!
①島津は強い ②島津は遠い ③島津は名門中の名門 ④家康はもう長くない ⑤秀吉もそうした
投稿お疲れ様です。藩主家の立場が脆弱だと人吉藩の相良家は島津家の様に鎌倉時代から続くお家でしたが藩主家と家臣団の距離が近すぎてごたごたが続いて江戸時代を通じて藩主の暗殺や幕末近くまでお家騒動で揉めていたとか 福島正則が島津家に便宜を図ったのは善意だけではなく徳川家康への牽制と自分以外に豊臣家を助ける勢力を増やすつもりだったのではとも言われますね。銀子とお米を福島正則に借りた島津家ですが弁済したとは記録が見えないので踏み倒した様だというお話を聞いて調所広郷さん以前から島津家クオリティとして借金を力技で何とかしていたんでしょうね
伊集院忠真一族郎党を皆殺しにするってどんだけ親父の伊集院忠棟の毒が回ってたんだよ……。(18:08) まあどのみち、伊集院忠棟家は忠棟が忠恒にブッ殺された時点(17:47)でいつかは消される運命にあったんだろうけどさ……。
信長と家康の大きな違いが出ていて、転封か改易かはわかりませんが、信長なら薩摩も対馬も直轄領にして、代官を置いたでしょうね。そもそも島津征伐は起こらなかった可能性が高いし、朝鮮の役も、秀吉とは展開がまったく違ったでしょうけど。
島津さんちの戦国ファイナル、知りませんでしたがなかなか劇的だったんですね😮‥!
小説だと、関ケ原の壮絶な退却劇を目の当たりにして島津家に尊敬を抱いた、みたいな書き方をされる福島正則ですが、実際に破格の便宜をはかっていたんですね。為になりました。
まあ自分に従う姿勢を見せる忠恒を承認した方が簡単だしね。忠恒が家中統制に失敗すればそれを理由に潰せばいいし。
@黒猫-r3x