@asakazefuji

とはいえ今の大津駅もバスの拠点駅ではないので、そんな栄えている印象がない
膳所駅はまだ京阪に乗り換えられる駅で、大津市の交通拠点は石山駅

@Tpc520

膳所は何回も行ったことあるけど元々大津駅って知らんかったなぁ… 
西武があったとこの変わり様もえぐい…

@ことまつした

7:55 脱線話ですが、ぜせ連呼の駅員さん懐かしいなぁ。
大阪から守山まで通勤してた頃、始発快速で寝てたら必ずこれで起こされましたよ。
そして次駅の石山で「ドアが閉まりまーす」を連呼する駅員で覚醒する日々を送ってたな。。

@777elioth

膳所もそうだけど大津駅も廃れたなぁ。なんか年配層ばかりになった。滋賀は草津と南草津と守山が中心になってしまった。

@坂田庄司-g6n

余談ですが、膳所駅から浜大津までの狭軌線路、浜大津から近江今津にあった江若鉄道への乗り入れに使用されていたとか。京都方面から湖西地区の水浴のシーズンの直通列車が走っていたみたい。

@shinanotikuma

分かり易い説明丁寧面白い チャンネル登録させて頂きました。

@齋藤圭一-b6t

膳所高校が滋賀県のトップクラスと言う事がなんとなく分かる。

@borodensha

面白い内容だったね!ありがとう😆

@待ち合い布団

堤康次郎の影響は県東側にある近江鉄道が西武グループであることにも関係している

@hd580

大津市は拠点が分散し過ぎ。部外者なので、よくわかっていないが、大津駅、丸屋町商店街、膳所駅、石山駅と拠点が分散している。これが大津市がいまいち発展しない原因ではないだろうか。

@果実煮-b6n

わかりやすい動画でした。
膳所といえば膳所高校を思い浮かべます

@gonchororin

興味深く拝見しました。 
県外民だとあそこは車でも入りづらい場所なので理解しにくい場所ですが駅から湖へ行くと旧西武百貨店とパルコでようやくわかりました。
大津(県庁)、膳所、石山(東レ)なので新快速通過なのですが、旧西武が大規模マンションになれば南草津のように新快速停車も夢では無いかも、滋賀の竹下通りの賑わいも戻るかもしれませんね。

@paulbenedikt

膳所は米原や近江今津のような下手な特急停車駅より全然都会だと思うけど。

@user-youkun3892

近江鉄道が西武グループって言うのは堤さんが滋賀県出身だからか。

@昇益田

似たような感じで県代表駅で無くなった所は他にもありますね。
紀和駅は昔は和歌山駅でした。関内駅は昔は横浜駅でした。

@su-m7k

2:25 「ぜぜ」と言う読み、高校生クイズでよく聞きます。また、意外かもしれませんが甲子園出場経験校でもあります。

@user-shibayan

膳所駅はなあ、、、駅前の道路が狭すぎて送迎もままならずどうしようもないのよ、栄えるという方向性には。でも近年、見違えるほどにピカピカの橋上駅舎に生まれ変わったんだぞ。

@mako9574

昔は大津は急行きたぐに、銀河、ちくま、ゆのくに、越後、たかやま、比叡、志摩、平安が停車する駅で草津よりも重要だったんだよな。

@magnumosk

ここまで 丁寧に解説をしているのに、膳所駅から運転されていた江若鉄道 直通列車の話がないのはちょっと惜しい。
大津駅が移転した後も膳所駅が 貨物駅として機能していたのは、江若鉄道との貨物のやり取りのためであって、その貨物線を利用していたのが 京阪石山坂本線になります。
江若鉄道との連絡のために 残存していた貨物列車のルートの跡地は今でも残存しており、膳所駅構内から京阪の浜大津駅方向に緩やかなスロープの跡地が見られます。
京都や大阪から近江舞子水泳場への臨時列車が運転されたときは、ここを旅客列車が通過していました。

@bictaka29

大津駅(初代)~馬場駅間は貨物支線として残したものの、民間企業(大津電車軌道)の求めに応じて三線軌条化を許してるのが不思議。この区間の旅客営業廃止と馬場駅の大津駅(二代目)への改称にはタイムラグがあるので、旅客駅としての大津駅は一時期消滅していたことになる。